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本当の強さを身につける! [チャレンジ]

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誰でも強くなりたいと思っている。
肉体的な弱さ、精神的なもろさを克服して
強くなりたいという願望は、
多かれ少なかれ持っていると思う。

そのために、
多くの若者が武道や格闘技の門を叩く。

では、
強さとは一体何であろうか。

一般的には格闘の技術をマスターし、
喧嘩に勝つという事が強さだというふうに考えられている。

それは、
「いざ!」と言う時に、
難局を切り抜ける自信と勇気を持ちたいという事だと思われる。

確かに、
格闘・護身の技術を身につけることが、
勇気と自信を育てる最短距離の一つであることは間違いない。

しかし、
社会に出て、それが通用するだろうか。
ならば、本当の強さとは何なのだろうか。

それは、
力の強弱や技の優劣よりも、
むしろ「人間の質」が重要視されるのである。

少林寺拳法の創始者(そうししゃ)宗道臣(そうどうしん)師は、

実社会の中で、
正しく逞しく(たくましく)生きていくには、
「自惚れ(うぬぼれ)でない自信」を
培う(つちかう)ことが、最も必要だとして、

その出発点として、
護身の技術を学び、
素手で身を守れるという自信を養うことだと捉え(とらまえ)、

本当の強さとは、
単なる物理的な力や小手先の技術にあるのではなく、
護身の技術を身につけるとともに、

その修練を通して「自惚れでない自信」を得るところにあり、
この自信こそ、
本当の強さだと、
折に触れて私たちに語られました。

「自分はダメだ」などと
自己を卑下(ひげ)し、
自信喪失(そうしつ)のままでは
淋しく暗い人生を送りかねない。

「やればできる!」
という自信を養い育てることは、
人生を明るく力強く生きていくために
非常に大切な事なのだ。

しかし、
それは一歩間違うと
自信過剰(じしんかじょう)となり、
他人(ひと)の痛みも分からない、
人と強調できない、
鼻持ちならない人格を形成しかねないので、
十分な自覚が必要となる。

そこを押さえて
「自惚れでない自信」を
持たなければならない。

     参考 田邊眞裕著 余話

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しっかりとした自分をつくろう!ニャー!! [チャレンジ]

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『しっかりとした自分をつくる!』

少林寺拳法では、
「自己確立(じこかくりつ)」といい、
不撓不屈(ふとうふくつ)の精神を
身につけるべく修行している。

不撓不屈の精神は、
困難や苦しみに出会ったとき、
耐えて乗り越えていく「挫けない心」であり、
そのためには大いなる精神力が必要となる。


今日でも、
「七転び八起き」の言葉で、
「達磨大師の精神」として伝えられているものであり、
ぜひとも各自が心の中に培っておきたい資質の一つである。


それは、
強い心とか傷つかない心といった堅いイメージではなく、
柔軟性を持ち、
感受性豊かな心の在り方である。


『人間にとって転んだことは恥ずかしいことではない、
起き上がれなかったことが恥ずかしいことなのだ』


という言葉があるが、 確かにそうだと思う。


転んだ、失敗した、という過去に
クヨクヨこだわる事ではなく、
「起き上がる」という未来への柔らかで
しなやかな精神をいうのである。


雪を跳ね返す竹のしなやかな力と、
柳が風邪を受け流す柔らかさを
養っていこうという事だ。


このように「自己確立」といっても、
遮二無二(しゃにむに)強い自己を目指したり
「自分だけが良かったら、それでいいんだ」というような、
自分本位の人間性をいうのではない。


「活かされて生きている」という
謙虚(けんきょ)な心をもった
自己の形成という事が大切である。

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明珠在掌(めいじゅたなごころにあり) [チャレンジ]

自分への信頼感を培う!
人間は手をかけて磨けば、
真っすぐに成長していく素晴らしい可能性を持っていて、
一人一人がその可能性を持って生まれてきている。

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少林寺拳法創始者宗道臣(そうどうしん)師は、

「人間は、可能性を有する種子だ」
と教えられ、

禅家では、
この種子を「明珠(めいじゅ)」と表現している。

「明珠」は、
一人ひとりが持つ素晴らしい可能性を表しているが、
すべての「明珠」が光輝いているわけではない。

むしろ、
多くの「珠(たま)」は、
泥が付着し、
チリが積もって光を失っているのが現状なのかも知れない。

大切なのは、
その種子を一人ひとりが持っていることに気づき、
それを取り出して、
磨き輝かすことだ。

『石中(せきちゅう)に火在(あ)りといえども、打たずんば発せず、心中(しんちゅう)に仏性(ぶっしょう)在りといえども、修せずんば顕(あらわ)れず』

・・・火打石は打ち合わないと火花は出ない。人間の持つ素晴らしい可能性も、修行しなければ輝かない。・・・

という言葉があるが、
いかに素晴らしい可能性を持っていても、
それはあくまで可能性である。

種子が花開き、
実を結ぶためには、
種をまず土に植えて、水をやり、
そして太陽の恵みが必要となる。

このように、
可能性の珠(たま)を、
明るく輝く「明珠」にするために、
磨き輝かせる作業が必要となる。

人間の可能性は、
実に様々な方面に、
しかも無限に広がっている。

可能性を秘めた「明珠」は、
まさに一人ひとりの掌(たなごころ)すなわち、
手のひらにある。

「素晴らしい自己の認識」という自分への信頼感こそ、
人生を逞(たくま)しく生きていく柱となるだろう。

まず、それに気づき、そして実践すべし。

          明珠在掌 智拳余話 田邊眞裕著 参照

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